モスクワ市立教育大学(2017年7月) - 日本語・日本文化学類 筑波大学 人文・文化学群

異文化交流
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海外レポートOverseas Report

モスクワ市立教育大学(2017年7月)

2017/07/04 ロシア 田中結梨

「今年のモスクワは普通じゃないよ。」ロシア人の友人が口をそろえて言うような変な天候が続いています。25度近くなって暑い日があったと思えば、次の日はコートが手放せないような寒さになって、異国で過ごす不思議な初夏に戸惑いを感じています。今回は最後の留学レポートということで、5,6月のモスクワ生活と、留学期間全体を通して感じたことを書こうと思います。

勝利の公園の記念碑
勝利の公園の記念碑

まずは、5月の祝日について。5月9日は「勝利の日」という祝日でした。ドイツ軍がソ連に降伏した日、つまりロシアが戦争に勝利した日ということで、モスクワ市内の様々な公園でイベントが行われていました。私はこの日友人と一緒に「勝利の公園」という公園に行きました。公園のあちこちで、ソ連軍が被っていた帽子やロシアの国旗が描かれた旗が売られていました。公園の入り口では、厳しい荷物検査が行われており、警察がペットボトルの水のにおいを嗅いで本当に水かどうかを確かめているほどの厳重ぶりでした。最近はラマダンということもあり、ヨーロッパでテロが多発しています。このような、イベントの度に厳戒態勢で警備がなされている様子は、自分が日本ではない外国で暮らしているのだということを実感させられます。

一番印象に残ったのが、勝利を喜ぶ人々の姿です。公園では、戦争当時から生きている人がたくさんの人から花をもらっていました。「勝利のために力を尽くしてくれて、ありがとう。」という感謝を伝えるために花を渡すそうです。花を渡すときは、「勝利の日、万歳!!」と叫び、周りにいた人も拍手しながら「万歳!万歳!」と口々に叫んでいました。笑顔で。

これは日本で私が学んだ戦争の歴史とは違った側面でした。悲しくて、つらくて、多くの人が苦しんだ戦争。でもロシアではそれだけでなく、「勝利のために戦ってくれた人へ、ありがとう。」日本にいた時にはなかった視点で物事を考えられるのは、留学の一つの醍醐味です。

最後の日本語のクラス
最後の日本語のクラス

次に、勉強について。6月ですべての日本語の授業が終わりました。日本語教育に興味があった私にとって、自分のクラスを持って授業計画から実践までをすべて一人で行うことは非常に貴重な経験になりました。なかなか思うように授業ができずつらい時期もありましたが、学生から「クラスメイトはみんな、ゆりさんの授業を楽しみにしています!」などの声をかけてもらい、最後まで授業をやりきることができました。学生とは授業だけでなく、日常生活でもたくさん交流しました。スケートをしたりイルミネーションを見たり、散歩したり一緒にご飯を食べたり。学生たちは毎日宿題に追われ本当に忙しい中、私との時間を作ってくれました。

友人の家での食事会
友人の家での食事会

そして、ロシア語の授業もすべて終わりました。モスクワに来たばかりの頃は、日常生活で使えるロシア語がすぐに出てこなくて戸惑うことも多かったです。もっとロシア語ができるようになりたい!と思ってロシア語の授業に出ても、先生の言っていることは全く分かりません。プリントをもらい、書かれた単語を辞書で必死に探しているうちにいつのまにか授業が終わっている、という情けない毎日が続きました。授業で先生と目を合わせるのが怖くて、ずっと下を向いて授業を受けていました。そんな私を支えてくれたのは、ロシアの友人と先生でした。ロシア語の先生は、もちろん全員ロシア人。日本語を話せる人はいません。それでも、簡単なロシア語、時には英語を交えて私に教えてくれました。最初は先生が怖かったけれど、ロシア語が分かるようになるうちに、先生の言っていることがわかるようになって、ロシア語を勉強するのが楽しくなりました。学生証を作る時、レストランで注文する時、宿題が全く分からなかった時。友人たちはいつも温かく私を助けてくれました。そんな友人に恩返しがしたいという思いでロシア語を勉強し、6月にはТРКИという外国人のためのロシア語能力試験を受け、目標としていた第1レベルに合格することができました。日本語を教える「教師」として毎日生活しながらもロシア語を勉強する「学習者」になることで、学習者の立場で外国の言語教育の現場を見ることができたのは、非常に貴重な経験でした。毎日数えきれないほど浮かんでくる日本語教師としての「どうして?」の疑問は、ロシア語学習者として毎日のように思う「なぜなら」によって、答えに変わっていきました。異文化の中で生きながら、異なる言語を習得し、人々とコミュニケーションをとり、さらに母国語を発信していくという経験は、この留学でしかできなかった大きな財産となりました。

お土産市場に並ぶマトリョーシカ
お土産市場に並ぶマトリョーシカ

8ヶ月間のモスクワでの留学生活の中では、楽しいことばかりでなく、つらいこともたくさんありました。でもつらいことがあるたび、周囲の人に励まされ、力をもらい、自分はたくさんに人に支えられているのだということを実感しました。自分だけの力ではなく、周囲の人の温かい助けがあったからこそ、充実した8か月間になったと思います。モスクワで学んだことを忘れず、モスクワでもらったたくさんの優しさを忘れずに、支えてくれた人へ恩返しができるよう、これから過ごしていきます。

最後になりますが、この場を借りて、私の留学に関わってくださった日本とロシアのすべての皆様に、心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。


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