海外レポートOverseas Report
パデュー大学(2019年12月)
みなさん、こんにちは。日日2015年卒の花見ちひろと申します。
今は、ペンシルバニア州フィラデルフィアにあるペンシルバニア大学で日本語を教えています。
卒業後、アメリカに拠点を移してから今年で5年目になります。節目の年ということで、これまでの歩みを自分自身で振り返りつつ、日本語教育って面白いな、面白そうだなと思っているみなさんと共有できたらと思い、書いています。
日本語教師としてまだまだ経験も知識も浅く、このようなレポートを書かせていただくのは本当に恐縮なのですが、ほんの一例として、読んでいただければうれしいです。
今回はまず、私の日本語教育との出会い、日日での日々、そしてアメリカに行くことになった経緯についてお話ししたいと思います。
私の日本語教育との出会いは、高校時代までさかのぼります。高校一年生の時、私のクラス担当になった教育実習生が、偶然、日日の学生でした。国語の教員免許をとるために私の高校に来ていたのですが、「日本語の先生」にも興味があり勉強していると教えてくれました。
私は当時、漠然と、将来は色々な国の人と関わることができる仕事がしたいと思っていました。そして「日本語の先生」という仕事があることを知り、「これだ!」と思いました。
私が筑波大に入学したのは、東日本大震災の直後です。
実家のある茨城県ひたちなか市で被災し、大学生活を始めるための十分な準備ができぬまま迎えたスタートでしたが、そこからの4年間の日々は、本当に充実していて、楽しかったです。
色々なアルバイトをしたり、留学生のお世話をしたり、部活動をしたり、旅行に行ったり、そしてもちろん、勉強もしました。
日日の授業は、興味があった日本語教授法と言語学を中心にとりました。そして、「日本語教育国際研修」にも積極的に参加しました。
初めて教壇に立つ経験をしたのは、二年生の夏に参加したスロベニア海外日本語教育実習です。
その後、秋にはモスクワでの異文化交流研修に、二年生の終わりには、パリ海外日本語教育実習にも参加しました。
日日の先生方、受け入れ先の先生方や学生たちのおかげで、様々な教育現場で貴重な経験をさせていただきました。
それまで紙の上で学んでいたことを実際に体感するというのは、まさに知識が力になる瞬間で、とても感動したことを覚えています。この時の学びや教えは、成功したことも、失敗したことも、すべて今でも私の中に生きていると感じます。
そして、三年生の夏には、オーストラリアで一ヶ月ホームステイをしてみました。
この時の経験は、教壇に立つ経験をした後、もう一度学習者目線で外国語を学ぶということを捉え直す良い機会だったと思います。
実は、この短期留学をしたのは、それまで希望していたアメリカへの長期留学が叶わなかったことが大きな理由でした。
そのこともあって、三年生の終わりに、次の転機となるアメリカ海外日本語教育実習への参加を希望しました。
それまで、日本での大学院進学を考えていたのですが、実習先で、アメリカの大学にはティーチング・アシスタントシップ(大学院で学生として勉強しながら、同時に日本語コースを教えるTAができる制度)があることを知り、進路変更を決断しました。
アメリカの大学院の応募締切は、だいたいが11月から1月頃なのですが、私がアメリカの大学院へ行くことを決意したのは三年生の終わりの3月頃だったので、準備期間があまりありませんでした。
実習から帰国後、まずは両親の説得から始まり、TOEFLを受けたり、GRE(大学院に行くための基礎学力を測る試験)を受けたり、大学院の研究計画書を書いたり、卒業論文を早く書きあげてそれを英訳したりしました。
個人的に一番の難関は、必修授業が終わって以来、全く手をつけていなかった英語でした。
私はごく一般的な日本の公立学校の英語教育しか受けてこなかったし、英語が特別できるわけでもなかったので、とりあえず限られた時間の中で、できる範囲で思いつくものは全てやってみました。
音楽を聞く代わりに単語や例文のオーディオを聞いたり、英語の番組を毎日1本、内容が理解できるまで見たり、実習先でできた友達と英語でテキストをしたり、授業やアルバイトの休み時間にフラッシュカードをしたり、参考書の練習問題を覚えてしまうほど繰り返し解いたり・・・。
当時、両親にはアメリカに行くことを100%応援してもらえず、まわりに同じような進路を目指す同級生もいなかったので、受験準備はとても孤独でした。
日日の先生方が、突然の進路変更だったにも関わらず背中を押してくださり、励まし続けてくださったことが、本当に心強かったです。
結果、受験した数校に運良く合格し、最終的にインディアナ州にあるパデュー大学の日本語教育専攻修士課程に進むことを決めました。
ここから、私のアメリカ生活が始まります。
長くなってしまったので、大学院でのお話は、また次のレポートで!