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多民族国家マレーシアにおける教育と社会の課題

クマラグル ラマヤ(マレーシア工科大学)

概要

独立後のマレーシアにとって最大の政策課題は「国民統合」であり、この課題を解決する手段として、学校教育は重要な役割を担ってきた。マレーシアの教育制度は、宗教も母語も異なる各民族を、多様性を保ちながら統合し、近代的な国民国家として存続していくための手段として注目され、独自の発展を遂げている。

1.複合国家マレーシアの歴史と社会の概要

マレーシアは、タイの南に繋がるマレー半島に位置する西マレーシアと、ボルネオ島の北部を占める東マレーシアから成る。マレーシアの大きな特徴はその人口構成にある。2020年現在、約3、200万人の人口のうち、マレー系63%、中国系26%、インド系7%、原住民族4%などの複数の民族で構成されている多民族の複合国家である。すなわちマレーシアは、日常的に様々な民族と接することが多い、一種のミニ・グローバルな社会環境であるといえる。マラッカ海峡を臨む西マレーシア地域は、古来よりヨーロッパ、アフリカ、中東、インドなどの諸地域と東南アジアを結ぶ海洋交通の要衝として栄え、スズなどの天然資源にも恵まれていた。その地理的な位置と資源をめぐるヨーロッパ諸国の経済・外交戦略から、ポルトガル、オランダ、イギリス等からの植民地支配を余儀なくされてきた。

18世紀には、中国及びインドなどとの東洋貿易に熱心だったイギリスが、マレー半島における寄港地を求めて、ペナン(1786年)、マラッカ(1795年)を相次いで植民地化した。そして、19世紀半ばからは、マラヤのスズ鉱山開発に始まり、次いでゴム園でのプランテーションを手掛けるなど、産業開発にも力を入れ始めた。これらの開発の進行に伴う労働力の絶対的な不足を補うために、多数の中国人やインド人の移住が促された結果、中国人は主にペナンなどの都市部、インド人はゴム園での労働者として定住するようになった。この時、先住民族ともいえるマレー系は、その大半が農民として、地方の農村に取り残され、経済面・教育面でも、都市部への移民が多かった中国人の後塵を拝する形となった。こうした歴史を経て、1957年の独立以降、複合民族国家として独立したマレーシアは、現在に至るまで、宗教・言語・文化・習慣などが異なる様々な民族を、「マレーシア国民」としていかに統合していくべきなのかという課題と向き合い続けているのである。

表1 マレーシアの主要民族と母語・宗教

民族 母国 宗教
マレー系 マレー語 全てのイスラム
中華系 中国語 仏教・道教・キリスト教
インド系 タミール語 ヒンズー教・キリスト教など

独立運動に寄与した各民族団体の代表者は、マレーシアの独立にあたり、新しい国家づくりに向けて、以下のような取り決めに合意した。それらは、①国の宗教(国教)はイスラムとする、②他の宗教・信仰の自由を認める、③マレー語を国語(マレーシア語)とする、④マレー語以外の各言語の使用も認める、⑤英語を国の第2言語にする、といった諸項目であり、これらは憲法でも定められている。

その結果、マレーシアは多民族・多宗教の複合国家にありがちな民族間・宗教間の対立を巧妙に抑制し、東南アジアの中でも異例なほど安定した社会を保ちつづけている。それには、マレーシアの多様なエスニック集団が生活している点を反映して、各民族に配慮した形で行われている教育制度もまた重要な役割を果たしてきたといっても過言ではない。

2.マレーシアの教育制度

マレーシアの学校教育制度は、初等教育(小学校)6年、中等教育が5年(前期:下級中等学校3年/後期:上級中等学校2年)、大学に進学する生徒のための大学予備課程(Form6)が1年~1年半の就学期間となっている。日本とは異なり、義務教育に関する法令上の規定はないが、公立学校に通う場合、中等教育までは無償ということもあって就学率は高く、初等教育段階ではほぼ100%となっている。また、多民族国家という状況から、初等教育段階では3種類の教授言語による公立(国立)学校が存在する。国語であるマレー語を教授言語とする「国民小学校(SK)」と、中国語およびタミール語を教授言語とする「国民型小学校(SJK)」である。これらの小学校の卒業生は、中等教育以降の公立校では教授言語が全てマレー語で統一されるため、マレー語の能力が不十分で中学校の授業についていけないと判断されると、中学校入学後の1年間は「マレー語移行学級(Remove Class)」に通級して、マレー語の補習を受ける。いずれの学校段階においても、マレー語(国語)と第2言語である英語は必修科目である。後述するが、小学校、下級中等教育学校(中学校)、上級中等教育学校(高校)の各修了時点、および、大学予備課程修了時点には、国による統一試験が実施され、ここでの成績に応じて、進学先が決定される。日本では学校で定められた単位を取得することで高校卒業の資格を取れるが、マレーシアでは国の実施する修了試験に合格しなければ、卒業・進学ができないシステムとなっている。

  1. 初等教育(スタンダード1~6)

    初等教育の期間は「スタンダード」1~6と呼ばれ、日本の小学校と同じ6年制である。先述したように、公立(国立)学校は中等教育まで無償であり、初等教育の就学率はほぼ100%である。日本とは異なり、生徒は全員、指定された制服を着て通学する。

    科目はマレー語、英語、算数、理科を中心に、音楽、美術、保健、体育、道徳または宗教(イスラム)、集会、特別活動などがあり、上級学年(スタンダード4以上)になると、日本の社会科にあたる「地域科」や「公民と市民性の教育」、技術・家庭科にあたる「生活技能」「設計と工芸」などの授業も加わる。また、中国語国民型学校(SKJC)に通っている児童には、中国語、タミール語国民型学校(SKJT)に通っている児童にはタミール語の授業が追加で行われている。

    午前と午後で学年により入れ替え制を採用している学校が多く、例えば午前部に通う児童は、朝7時半までに登校して10時まで授業を連続で受け、30分の休憩時間を挟んで、10時半から13時まで再び連続で授業を受ける。日本のような給食制度はなく、学校の食堂で食べ物を買ったり、自宅から弁当を持参したりして、休憩時間中に昼食を摂るケースが多い。

    そして、スタンダード6の9月、マレーシアの小学生は全員、全国統一試験(UPSR)を受験し、UPSRの成績によって、それぞれがレベルに合った中学校に振り分けされることとなる。日本とは異なり、公立学校であっても、希望する中学校に進学できるかどうかが、学力試験の結果で決まるという制度は、マレーシアの子どもたちにとって人生最初の関門ともいえる。

  2. 中等教育(フォームⅠ~Ⅴ)

    中等教育は、日本の中学校にあたる下級中等学校(フォームⅠ~Ⅲ)の3年間と、高校にあたる上級中等学校(フォームⅣ・Ⅴ)の2年間の、計5年間である。

    生徒は全員、中学3年(フォームⅢ)の修了時にPT3と呼ばれる全国共通試験を受け、その成績によって、後期中等教育2年間を、理系・文系のいずれのコースに進級して学習を行うのかが決定する。さらに高校2年(フォームⅤ)修了時には、SPMと呼ばれる統一試験があり、このSPMで不合格または未受験の場合、その生徒は中等教育の全課程を修了したとは認められず、高校卒業資格を取得することができない。すなわち、留年してSPMに合格するまで受験をし直すか、卒業を諦めて退学するかのいずれかとなる。

  3. 大学予備課程 (フォームⅥ)

    高校段階にあたるフォームⅤまで修了した後、大学などの高等教育機関に進学する生徒は、大学予備課程(大学予科)のフォームⅥに入学し、1年または2年(大学入試を受けるまでなので実際は約1年半)通学する。ここでは成績によりUPPERⅥ、LOWERⅥの2つのクラスに分けられ、フォームⅥの修了時に、大学入学資格証明を得るためのSTPMと呼ばれる全国統一試験を受験する。フォームⅥ在学中に成績がふるわない生徒は、大学に進学できる可能性が低いものと判断されるため、大学進学の代わりにディプロマ(Diploma)と呼ばれる資格を取得して、2~3年制の短期大学や専門学校に進学する。

3.国民統合のカギ

教育制度を用いた「国民統合」政策は、主に以下に挙げる三つの方法で行われているものと考えられる。

一つめは、様々な母語を話している各民族を「国民」として結び付けるための「共通言語」としてのマレー語、すなわち「国語」としての「マレーシア語」の導入である。

総人口に占める割合の大きいマレー系の母語であるマレー語を国語、独立前に広く利用されていた英語を第2言語と設定し、学校教育ではこの二言語を必修科目として、幼い頃から、民族の違いにかかわらずマレーシア国民全員が学ぶことで、これらの言語は全てのマレーシア国民の共通言語として、日常生活におけるコミュニケーションに利用されている。

二つめは、初等教育段階から、複数の言語科目に加え、公民教育や地域科、道徳教育などで、各民族の言語・宗教・文化・習慣などの学習が取り入れられていることで、民族間の相互理解が進み、同じマレーシアの「国民」としての相互関係を強化する役割を果たしていると考えられる。

三つめは、マレーシアの国家原則である「ルクヌガラ (Rukunegara)」の存在である。

「ルクヌガラ」は、マレーシアの国家としての統一と発展を目指した「国造りの指針」として作成された理念である。学校教育では毎週、朝礼の際に、児童・生徒と全教職員が以下のことを宣誓し、国民として目指すべきものや遵守すべきことを意識づけている。

「国家原則(ルクヌガラ:Rukunegara)」
我々マレーシア国民は以下の五つの目的の達成を目指す。
①複合社会の統一された国家、②法的に選ばれた国会による民主社会、③すべての者に平等な機会がある自由な社会、④多様な文化的伝統を持つ自由な社会、⑤科学と現代技術を志向する進歩的な社会
これらの目的の達成は以下の原理原則によって導かれる。
①神への信仰、②国王と国家への忠誠、③憲法の擁護、④法の支配、⑤良識ある行動と道徳

4.今後の課題

英国植民地から独立して63年が経ち、教育を通した国民統合政策が近代的な国民国家の形成に大きく貢献してきた一方で、政府の権力を維持するためや、強固にするために教育を利用しようとする動きが見受けられた場合は、国民が不安を覚えることも度々発生してきた。国家の発展と安全・安定した社会を形成する柱となる教育制度を、時の政権の権力を維持するために弄ることは決して好ましいことではない。マレーシアの経済発展に伴い、外国人労働者の受け入れなどの政策を行ってきた結果、これまでの複合社会の構成がより複雑化し、国民統合に綻びが生じてくる可能性がある。将来的にマレーシアが発展を続け、安定・安全な社会を維持していくためには、これまでの教育制度をいま一度よく見直して、グローバル化や情報化、AIの発達などが急速に進み、変化していく時代に向けた、新たな国民統合の形をめざした教育方針の導入が喫緊の課題となってきていると考えられる。


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