日本語・日本文化学類とは?
What is "Nichi-Nichi"?

韓国と日本における在日コリアンと多文化共生-生野コリアタウンまつりを中心に-

鄭 聖希(韓国外国語大学校大学院 グローバル文化コンテンツ学科)

要旨

現在、日本には46万人の在日コリアンが住んでおり、大阪(大阪)は、日本で最も多くの在日コリアンが居住している。在日コリアンは現在まで様々な社会的葛藤を克服してきたが、この時、 自分たちのアイデンティティを維持しながら、他のグループとの疎通を拡大していくために、地域の祭りである「祭り」が大きな役割を果たしてきた。本稿では、大阪市生野区で開催された「生野コリアタウンまつり」が、日本の地域社会とエスニックグループ間の葛藤を減らすためにどのような役割をしたのかを考察する。また、この事例分析を通し、エスニックグループが共に生きる持続可能な社会について論じる。

Keywords: 在日コリアン・祭り・エスニック・持続可能な社会・生野コリアタウン

1.はじめに

韓国社会において在日コリアン[1]は「在外国民」として認識されている。そして、韓国国籍を所有しているが、国民に与えられる福祉受給権や政治参加などの権利によって構成される市民権の制約を受けている。また、多文化支援政策においても排除されるなど、自国でありながらも、日本同様さまざまな権利が保障されていないのが現状である。この現状において、金雄基(2016)は「在日コリアンは現状において、韓国社会の中で内国人はおろか、世界720万人の外国国籍者を含めた在外同胞のうち、もっとも劣悪な権利状況にあり、言わば「最底辺の在外同胞」と表現しても過言でない」[2]と指摘している。

一方日本においても、在日コリアンの権利状況は韓国とあまり変わりないといえるであろう。しかし、在日コリアンは日本の政策に翻弄されながらも、1948年の阪神教育闘争、1980年代の指紋押捺拒否運動など、様々な社会運動や人権運動を通して、社会の構成員としての権利を獲得してきた。このような運動の一部として、民族文化運動が起こるなか「祭り」というコンテンツを通し、自身のアイデンティティ形成を行ってきた。このような祭りは全国的に広がりを見せ、現在ではアイデンティティ形成を重要視するのではなく、「共生」という側面に重きを置いている。

本発表では、上記の点に着目し、在日コリアンの文化的な方法である「自己表現」としての祭りがどのように変化してきたのか、在日コリアンの祭りコンテンツが果たす地域社会と多文化共生の役割について検討する。

[1]本稿では、日本による植民地支配の影響によって日本へと移住・定住した朝鮮民族の総体を指す用語として「在日コリアン」を使用する。

[2]金雄基(2016)「韓国社会における「最底辺の在外同胞」としての在日コリアン」『日本学報』,韓国日本学会,第106号,p5

2.在日コリアンと祭り

日本の伝統的な祭りを指す「祭り」は、「祀る」から派生した用語であり、「神に仕え献呈する」という意味に由来したといわれている。祭りに関する研究は、民俗学・宗教学・文化人類学など様々な分野で行われてきた。小松和彦は、「祭りとイベントの大きな相違は、神の祭祀の有無にある」とし、イベントについては「イベントでは、主催者が意識するのは、『神』ではなく『客』である。主催者は客の反応を一番に気にする。イベントを楽しむのはこの客であって、主催者・出演者はこの客を満足させる[3]」ものであると述べている。上記のことから、当初の祭りは、神を祀ることから由来し、宗教行事や神事であったが、歳月が過ぎ、今日の祭りの多くは神事がなくなり、イベントと変化していると考えられるであろう。

在日コリアンの祭りは、1980年代に在日コリアンの民族文化運動の1つのあり方として始まった「生野民族文化祭」[4]を筆頭に、大阪の「ワン・コリア・フェスティバル」や京都の「東九条マダン」など様々な祭りが行われてきた。また、その形態は、在日コリアンのアイデンティティの確立や様々な権利獲得を行うための社会運動と連携していたが、近年では、民族よりも、「共生」に重きを置いている祭りが多い。

本稿では、「生野コリアタウンまつり」を事例に、エスニック地域と在日コリアンに関する文献研究を通じて祭りと多文化共生について考えていく。

[3]小松和彦(1997)『祭りとイベント』,小学館,p21

[4]1983年から始まり、2002年を最後に幕を下ろした大阪の生野区を中心に開催された在日コリアンの祭りである。また、2019年現在、在日コリアンの祭りが日本全国でいくつか存在するが、その始まりとも言われているのが、生野民族文化祭である。

3.事例分析:生野コリアタウンまつり

1993年、朝鮮市場からコリアタウンへと新しくなったこと記念し、1994年に「コリアタウン アジア祭り」が開催された。また、1997年には、御幸通東商店街振興組合が1996年に釜山チャガルチ市場と姉妹提携締結を行ったため、これを記念し、同商店街と御幸森第2公園で「コリアタウン アジア民族祭り 焼肉キムチフェア」を開催した。この祭りは、同商店街が主催したが、中央商店街も積極的に協力した。当時は、西・中央・東の各商店街が様々なイベントを別々に進行してきた。しかし、この商店街が共にイベントを推進するために、1997年にコリアタウン推進委員会が組織され、推進委員会が組織された後、1997年に「生野チョアヨ!コリアタウン祭り」が開催された。その後、名称を変えながら1年に1度もしくは複数回祭りが開催された。祭りの名称は、2008年から2009年「チョアヨ!コリアタウン共生まつり」、2010年「コリアタウン共生まつり」、2011年「生野コリアタウン共生まつり」、2012年以降は「共生」という言葉がなくなり「生野コリアタウンまつり」と名称を変更している。また、ここ数年において、「生野コリアタウンまつり」は、毎年10月の日曜日に開催されている。つぎに、生野コリアタウンまつり2016のプログラムを元に分析を進めていく。

<表1>は、生野コリアタウンまつり2016のプログラムをまとめたものである。プログラムは、毎年大きな変化はなく、主に学生たちによる民族芸能のパレードや公演、K-pop公演などが主なプログラムとなっている。また、生野地域には済州島出身者が多く、地域的特徴を反映し、韓国の済州島から、済州ハン文化ネットワークが参加している。場所は、公園に設置されたステージとコリアタウンの各店舗で進行される。

<表1>生野コリアタウンまつり2016 プログラム

日時 2016年10月30日(日)
場所 生野コリアタウン一帯
ステージ

10:30開会式

11:30いくのニューおどり/いくのニューおどり いくみん隊

12:00サムルノリ / 金剛学園小学校サムルノリ部

12:15独舞 / 大阪朝鮮第四初級学校
K-POPダンス / YUI
K-POPライブ / Live High
アコースティックライブ / 崔相敦

16:30閉会式
パレード

10:40キルノリ / 大阪市立御幸森小学校民族学級6年生児童

11:00サンモと小太鼓の舞  / 大阪朝鮮第四初級学校

11:30プンムル / 白頭学院建国中・高等学校伝統芸術部

13:00キルノリ / 済州ハン文化ネットワークと大阪市立中川小学校民族学級合同
その他
  • ワンコイングルメグランプリ
  • 民族衣装コンテスト など

生野コリアタウンまつり2016において、第一に注目したいのは「祀る」という意味での祭りの特徴がないという点である。生野民族文化祭で行われていた、この部分がなくなっているということは、祭りという名称だけ残り、本質がイベントとして変化していることがわかる。第二に、複数の場所で複数のプログラムが進行されるということである。これは、プログラムの多様性とも考えることができる。しかし、このような考え方は、広範囲で祭りを実施する場合にのみその長所が生かされるのではないだろうか。そのため、生野コリアタウンという狭い範囲で複数のプログラムを実施するということは、場所の協調性が低下し、ボランティアの人数も大勢必要となるなど、運営側も訪問側も、混乱に陥る原因になるとも考えられる。第三は、プログラムの一貫性やテーマがないということだ。これはまさに、祭りという名を借りたイベントとなっている。一方で、パレードという形で学生たちが民族衣装を着用し、生野コリアタウンを練り歩く姿は、生野民族文化祭の前夜祭で行っていた地域農楽パレードと重なる。祭りがイベントと変化しながらも、民族祭りの性格を維持していることも強調したい。

4.終わりに

文化的記憶(Cultural Memory)の理論を創始したヤン・アスマン(Jan Assmann)とアライダ・アスマン(Aleaida Assmann)[5]によると、「場所性とは、近くもあり遠くもある記憶が、お互い結合し創られていく「場所のオーラ」が発現されるところ」を意味する。また、場所性は単純に特定の地域、つまり地理的空間が抱えている特性を意味するのではなく、集団の記憶が積み重なった「記憶の場所」に内包された歴史の痕跡だと考えられる と考えた。それでは、生野区はどのような集団の記憶があるのだろうか。それは、「アイデンティティの形成」「民族」「対立」「信頼」「共生」などであり、現在ではそこに「韓流」も加わっているであろう。それでは、このような生野区が持つ「記憶の場所」を生かした祭りを開催することはできないのだろうか。

祭りを地域活性化のための手段とするのであれば、祭りのコンセプトに住民や協力者を引き寄せられるようなコンセプトが必要だ。そのため、祭りにおけるアイディアを広く公募するのはどうだろうか。近年、韓国では自治体や様々な機関・団体において広く市民にアイディアを公募するケースが増加している。例えば、ソウル市内にある景福宮(キョンボックン)などの宮を活用するアイディアの募集や学生を対象にした住みやすい街づくりのアイディアを募集するなど様々な分野で公募が行われている。上記のように祭りのアイディアを広く募集すれば、広報部門ではPR動画制作やキャラクター制作、付帯行事部門ではコスプレなど、様々なアイディアが集まる可能性がある。また、アイディアを公募することにより、地域の魅力を再発見することができ、地域住民だけでなくより広範囲での人々との交流が可能ではないだろうか。

生野区は現在、地域住民の高齢化率の上昇や空き家問題など様々な課題を抱えている。このような問題のどれもは、実は地域社会との関わりと深く関わっているのではないだろうか。筆者は、個々の問題の解決策を提示することよりも、地域社会と関わりたくなるような、そんな試みをまず実施することが先決だと考える。そういった意味で、祭りについて根本から考えなおすことが大切だと考えた。なぜなら、上記のとおり、祭りは様々な認識を変える一つの方法であるためだ。生野区において祭りは、地域住民と長年の間の関係を形成してきた在日コリアンと日本人、ニューカマー間の新たな関係を作ってきたものであり、共に価値を創造していく手段となりえると考えるためである。

[5]Assmann,A. 변학수・체연숙 옮김(2012) 『기억의 장소』, 그린비, p466

【参考文献】

  • 飯田剛史(2002)『在日コリアンの宗教と祭り 民族と宗教の社会学』,世界思想社,pp.308-310
  • 岩渕功一(2010)『多文化社会の<文化>を問う』,青弓社,pp.43-56
  • 小松和彦(1997)『祭りとイベント』,小学館,p.21
  • 徐京植(2012)『在日朝鮮人ってどんなひと?』, 平凡社,pp.66-81
  • 藤田綾子(2005)『大阪「鶴橋」物語―ごった煮商店街の戦後史』, 現代書館,pp.167-170
  • 柳田國男(1998)『日本の祭』,筑摩書房,pp.358-508
  • 김희진(2016) 『일본 전통축제 마츠리의 이해와 사례』, 한울아카데미, pp.19-22
  • 류정아(2003) 『축제인류학』, 살림, pp.31-32
  • 임영상 외(2015) 『코리아타운과 축제』, 북코리아, pp.125-154
  • 金子真紀(2015)「在日コリアンの民族文化運動:80年代に起こった『生野民族文化祭』を中心に」『社会教育研究紀要』,九州大学大学院人間科学研究院社会教育研究室, 第1巻,pp.11-22
  • 金雄基(2016)「韓国社会における「最底辺の在外同胞」としての在日コリアン」『日本学報』,韓国日本学会,第106号,pp.1-15
  • 고정자 외(2010) 「한국문화 발신지로서의 오사카 이쿠노 코리아타운 연구」 『글로벌 문화콘텐츠』, 글 로벌문화콘텐츠학회, 제5호, pp.87-120
  • 김경희(2010) 「한류를 통한 한국・일본・재일코리언의 새로운 관계구축을 위한 제언」 『재외한인연구』, 재외한인학회, 제22호, pp.177-202
  • 김균형(2002) 「지역축제 중심 프로그램으로서의 “뮤지컬” 제작에 관한 연구」 『드라마연구』, 한국드라 마학회, No.19, pp.411-435
  • 김성현(2005) 「지역축제의 마케팅전략 연구」 『한국행정학회 학술발표논문집』, 한국행정학회, No.4, pp. 559-574
  • 박광현(2010) 「재일한국인. 조선인의 정체성에 관한 연구」 『일본연구』, 고려대학교 일본연구센터, 제13호, pp.417-440
  • 박수경(2010) 「재일코리안 축제와 마당극의 의의:生野民族祭를 중심으로」 『日本文化學報』, 한국일본문 화학회, 제45호, pp.269-288
  • 임영언 외(2015) 「일본 속의 재일코리안 사회:도쿄와 오사카 코리아타운 공동체 공간의 특성 비교 연구」 『재외한인연구』, 재외한인학회, 제37호, pp.61-88

ページ上部へ