日本語・日本文化学類とは?
What is "Nichi-Nichi"?

途上国における多言語多文化状況下での言語教育の開発-JICA「ミャンマー国初等教育改革プロジェクト」での試み-

長田 友紀(筑波大学 人間系)

1.はじめに

本稿は、多言語多文化国家であるミャンマーでおこなわれている小学校国語科(ミャンマー語科)教科書の改訂作業の様子を報告するものである。

ミャンマーは東南アジアのインドシナ半島に位置しており、北に中国、西にインドやバングラデシュなどが接している。1989年まで国名はビルマであった。長く軍事政権が続いていたが、2011年から民主化が進み、2015年の総選挙によってアウンサン・スーチー氏率いるNLD(国民民主連盟)が政権についたことでも知られている。

ミャンマーにはビルマ族、シャン族、カチン族など130もの民族が存在している。そこで話される言語の数は110以上と言われるほどの多言語国家である。ビルマ族が人口の7割を占め公用語はミャンマー語(ビルマ語)となっている。都心の教員が地方に赴任すると言葉が子どもに全く通じないこともあるほどだという。またビルマ語は文語と口語で違いがあり、文章の読み書きには文語を用いている。イギリスの植民地だった経緯もあり、地域にもよるが英語教育への熱は高い。

ミャンマーの学校制度は単線型であり、2016年からの教育制度改革によって完成時には幼稚園(Pre-school)1年制、小学校(Primary)5年制、中学校(lower-secondary)4年制、高校(Upper-secondary)3年制となる予定である(田中2017)。しかし、小学校については2011年から無償となったものの、退学率は1年生で約一割、5年生で約二割というデータもあり、ドロップアウトしてしまう子どもたちが多く存在している実態がある。教科書については国定教科書であり、すべての公立学校での使用が義務づけられている。その教育方針は伝統的に暗記中心主義であり、教科書は20年近くも本格的な改訂がなされてこなかった。

2.JICA「ミャンマー国初等教育カリキュラム改訂プロジェクト」

上述の教育制度改革のために、2014年から日本のJICA(独立行政法人国際協力機構)によって「ミャンマー国初等教育カリキュラム改訂プロジェクト」(CREATE)が開始されてきた。これはミャンマー語(国語)、理科、算数、英語、社会、体育、道徳・公民、芸術(音楽・図工)、ライフスキルなど各教科の学習指導要領の改訂や教科書および教師用指導書の開発や教員研修を支援するものである。日本の教育システムをもとに小学校教育を改善することがねらいであり、「児童中心アプローチ」や「21世紀型スキル」の導入が図られている。なお、小学校の改革はJICAが担当するが、中学校はADB(アジア開発銀行)が担当することになっている。

JICAのCREATEプロジェクトは、ミャンマー国教育省のスタッフが約60名、日本人専門家が約40名、そのほかのプロジェクトスタッフも含めれば総勢で140名ほどが協力しあっている。複数の国際開発コンサルティング会社も加わり、教科書作成や印刷については日本の教科書会社がそのノウハウを提供している。

これまで日本は理数系などの一部の教科についてのみ支援をすることはあったが、一国の全教科を支援するプロジェクトは初めてである。

3.ミャンマー語科教科書の作成

ミャンマー語科教科書の編集は、アドバイザーとして筆者、それから教員養成校の教員2名、小学校教員3名、教育省1名で全学年の教科書や教師用指導書を作成している。ミャンマー関係者は通常の勤務を離れて編集作業だけに携わっているが、日本の小学校の国語科教科書は30名前後で作成していることを考えるとマンパワーが非常に少ないといえる。

まずは関係者からの聞き取りや学校の見学をおこなった。また教科書の分析を通してミャンマー語科の問題点を洗い出した(Osada, 2016, 2017, 2018, 2019)。やはりミャンマー語科の授業においても暗記中心主義の問題は顕著であった。

筆者が見学したある1年生のクラスでは、一時間ずっと文字や単語を大声で叫ばせ続けていた。これがよくあるタイプの授業だというのである。またアジアでは試験が重視される国が多いがミャンマーも例外ではない。私が見た小学校国語の試験問題では、本文(文章)は一切載っておらず設問のみが並んでいた。例えば「アウンサン将軍の生まれた場所はどこですか?」とあってもそれを導き出すための文章がないのである。この点を質問したところ、文章は教科書にあるのでテストには載せないということであった。教科書の教材を丸ごと覚えていることが前提のテストなのである。こういった試験対策のために、月の半分ほどしか授業時間が確保できないという問題も指摘されるほどである。成績によっては留年になってしまうため子どもだけでなく親や教師も必死である(長田2017)。

しかし、いくら暗記させても言葉の力が十分に身についていないことがデータから示されている。世界銀行が2015五年に公表した調査結果によれば、中心都市ヤンゴンでさえ、一年生で一語も読めない子どもの割合は4割弱、ある文章に関して一つの質問も正確に答えられない割合は8割弱にものぼっている(World Bank,2015)。

言葉の教育が思考力や想像力に及ぶことなく、暗記することのみに力点が置かれてしまっている弊害がミャンマーでは見受けられたのである。そこで以下の新教科書の方針を策定したうえで関係者と共有し、教科書作成を進めていった(長田2018)。

①文字学習の基本的な方法(積み上げと同時に、たくさん読んで書く)
②多様なジャンルに応じた指導(詩や物語ばかりでなく、説明的文章や話す・聞く指導の導入)
③子どもの側にたった指導(暗記中心ではなく、興味関心、思考力・表現力の重視)
④一時間の指導方法(一時間中同じことをやるのではなく、読む・書く・聞く・話す活動が盛り込まれるようにする)
⑤教科書の機能(教科書としてだけでなく、ワークブックの働きも持たせ、書き込みなどもできるようにする)
⑥現代口語の導入(文語ばかりでなく、低学年では口語も導入)
⑦多言語多文化への対応(ミャンマー語非母語話者へも一定の対応)

このような方針のもと1年間で1学年分ずつ教科書を作成し、小学校1年生から学年進行に合わせて子どもたちに配布している。2019年には第4学年までの新教科書が完成し、日本の支援による新しい教育課程は小学校の1年生から4年生まで導入されたところである。この新教科書は子どもたちや教師たちからの評判が大変に良いという情報も得ている。あとは最終学年の5年生用の教科書と教師用指導書を残すのみである。

4.まとめと今後の展望

ここまでの教科書作成支援を通して、日本の国語教育の知見やノウハウはミャンマーに非常に役立っていると感じている。言語体系が異なっていても母語教育の原理的な方法はそれほど変わらず、日本の国語教育の有効性はかなり高い。

ただし、多言語・多文化を前提とした場合の母語(共通語)の教育理念や方法については日本では蓄積がほとんどないため、ミャンマー側の要望には十分には応えられていない部分がある。日本でもこういった多言語多文化状況下の国語教育を考えていくことは早晩必須となるだろう。そのためにも基礎的な研究から積み上げておくことはミャンマーのためだけでなく、将来の日本のためにも重要である。

【参考文献】

  • Osada, Y. (2016) The State of National Language Education at Introductory Stage in Myanmar: Analysis of G1 Textbooks. 人文科教育学会『人文科教育研究』43号, pp. 127-132.
  • Osada, Y. (2017) Analysis of the Contents of Grade 2 National Language Textbook of Myanmar, 人文科教育学会『人文科教育研究』44号, pp. 131-136
  • Osada, Y. (2018) The Contents of a Grade 3 National Language Textbook of Myanmar: Contents Analysis of 2018 Textbook, 人文科教育学会『人文科教育研究』45号, pp. 61-65.
  • Osada, Y. (2019) The Contents of a Grade 4 National Language Textbook of Myanmar: Contents Analysis of 2019 Textbook, 人文科教育学会『人文科教育研究』46号, pp. 37-43
  • World Bank (2015) Myanmar Early Grade Reading Assessment (EGRA) for the Yangon Region: 2014 Results Report.
  • 長田友紀(2016)「輸出型国語教育への転換にむけて−ミャンマー国での事例をもとに−」 『読書科学』第58 巻3 号,pp.122-131
  • 長田友紀(2017)「多言語多文化国家ミャンマーの国語教育」『小学校国語通信 ことばだより』2017年秋号, pp.10-11
  • 長田友紀(2018)「ミャンマーでの教科書づくりから学ぶこと」『小学校国語通信 ことばだより』2018年春号, pp.12-13
  • 長田友紀(2019)「教育開発援助」藤田晃之ほか編『最新 教育キーワード 155のキーワードで押さえる教育』時事通信社, pp. 260-261
  • 長田友紀(印刷中)「ミャンマー連邦共和国」教科書研究センター編『諸外国における教科書制度及び教科書事情に関する調査研究報告書』
  • 田中義隆(2017)『ミャンマーの教育』明石書店
  • 田中義隆『21世紀型スキルと諸外国の教育実践-求められる新しい能力形成-』明石書店,2015年
  • 田中義隆『ミャンマーの教育-学校制度と教育課程の現在・過去・未来-』明石書店,2017年
  • 田中義隆『こんなに違う!アジアの算数・数学教育-日本・ベトナム・インドネシア・ミャンマー・ネパールの教科書を比較する-』明石書店,2019年

※本稿はJSPS科研費19K02699「グローバル社会・多言語多文化社会に対応する日本の国語教育の再構築の基礎的研究」(研究代表:長田友紀)の助成を受けている。


ページ上部へ