海外レポートOverseas Report
パダン(2019年4月)
Selamat siang!(こんにちは)
日本語・日本文化学類4年の鈴木海翔です。
私は昨年の9月から今年の3月までの7か月間、「日本語パートナーズ(インドネシア派遣)」の10期生として、インドネシアのパダンという町で活動を行いました。
派遣されて間もない頃、国際交流基金アジアセンター「日本語パートナーズ」のWebサイトに活動報告が掲載されて、昨年11月頃、日日ウェブサイトのお知らせ 「【活動報告】国際交流基金”日本語パートナーズ”インドネシア派遣」からもリンクを張ってもらったんですが、この7ヶ月が終わってみての振り返りの報告として、今回、「海外レポート」にまとめてみました。
日本語パートナーズ派遣プログラムや青年海外協力隊への参加を検討されている方や興味のある方の参考になれたらと思います。
まずみなさんは、インドネシアと聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。
バリ島。イスラム教。常夏の国。ジャカルタ。JKT48。地震が多い・・・。
こんな感じでしょうか。
私自身は、派遣される前は全くインドネシアのことを知りませんでした。バリ島がインドネシアであることさえ、知りませんでした(笑)。
そして派遣を終えた今、「インドネシアはどんな国だった?」と聞かれれば、「笑顔と優しさに溢れた国」、こう答えると思います。
いつでも笑顔に囲まれ、インドネシア人の優しさを心の奥底で感じることができました。私が日本人だったから、外国人だったから、ということを抜きにしてもそう思います。この7ヶ月で、そんなインドネシアが大好きになりました。
私が派遣されていたのは、西スマトラ州のパダンという町でした。
特徴はなんと言っても暑いことです。自然豊かな海沿いの町で、日差しがギラギラと照りつけています。
毎日汗でびしょびしょになり、1日に3、4回シャワーを浴びていたことも今では懐かしいです。
観光地ではないので、外国人が少なく、日本人も全然いません。
日本人だからと珍しがられ、声をかけられ、写真を撮られる、という日々でもありました。どこか有名人の気持ちが分かった気がします(笑)。
パダンは都会よりは田舎に近いので、その分、時間もゆっくりと流れ、人々も温かかったです。どこの町に派遣されるかは分からない中で、このパダンという町に派遣されたことを幸せに思います。
次回の記事では、私が参加した「日本語パートナーズ」がどんなプログラムなのかということをご紹介したいと思います。
それではひとまず、Tarimo Kasih.(ミナン語でありがとう)